コミュニケーションはよくキャッチボールに例えられる。
相手との意思疎通。
相手がとれるボールを選んで、また相手が自分のほしいボールを
投げてくれることを期待する。
ずっとうまくキャッチボールができればいいけど、そうはいかないのが人間。
相手がとれない球を投げてしまったり、思いもよらないカーブが飛んできたり。
そして相手がとれないボールを投げたとき、気づくんだ。
失敗したこと。
相手のグラブの大きさ。ストライクゾーンの広さ、狭さに初めて気づく。
「ごめんね」「いいよ」
本当のキャッチボールのようには済まないこともあるよね。
でもときには変化球も投げたい。それも人間。
ストレートばっかり投げ合っていたら、相手がだれなのかわからない。
そんな気がする。
変化球もとれる度量をもった人間でありたいなとも思う。
お互い自由にボールを投げ合って、それでも
いっしょにいたい。
そんな人と結ばれたいな笑
そんな相手なかなかいないよね。
1人でもみつけられたらきっと奇跡。
「おおげさなことがないと実感できないぼくらは何度
愛を雑にあつかって壊して一人と独りを履き違えた」
今聴いたSUPER BRAVERの「証明」の歌詞。
結局はそうだよね。
突き詰めると大切なことが見えてくる。
「独りなんだ」って悲しむのは簡単。
でも同時にそれは少し傲慢なことなのかもしれない。
一人の人なんていない。
だれもが、だれかと毎日キャッチボールしてる。
うまくとれない球でもその人のおかげで、自分という存在が成立している。
「おおげさなことを言うと結局あなたがいないとぼくの全部
意味をもたないとわかった 心も 言葉も 存在も」
いいね。この歌詞。
謙虚であるということ。
人生に対して。自分に対して。相手に対して。
「当たり前なんてない」とありがたくボールを受け取る。
なかなかできないことかもしれない。
だから歌になるんだね。
でも謙虚でありたい。
生きることに謙虚でありたい。
そうすることで幸せが広がるような気がする。
この歌詞をかいた柳沢さんはすごいな。
武道のように人生を戦っているんだろな。
そういうイメージの人。
この曲をまっすぐ歌える渋谷さんもすごいな。
人生、達観してるのかな。
私も賢者のように人生をみつめたいよ。
きっとそれができる人が人生、勝ちだよ。勝者だよ。
とりあえず、もっと相手を見極めて優しいボールを
投げたいです。時にはやっぱり変化球もまぜてしまうと思うけど。
変化球はきっと個性だから否定はしたくないな。
でも相手のキャッチできる球を投げないとね✨
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