今日は焼きナスをだしつゆに浸して食べた。あとビーツっていう赤カブにマヨネーズとドレッシングをかけて、豚肉を醤油と酒で炒めた。すごく美味しかった✨
あまり凝ったものは作らないけど、料理は好き。料理して美味しいものを食べると
「ちゃんと生きてる」って感じがして好き。私はグルメじゃないし、外食したいともあんまり思わない。自分のつくる料理で十分満足です✨
今日「私の日々が言葉になるまで」っていうEテレの番組を観た。
SUPER BEAVERの渋谷さんが出演してるから観たんだけど、すごく面白かった。
出演者が言葉について考え、すごく和やかで穏やかな雰囲気のなか、意見交換をする。
ちょっと新しい番組だなと思った。
渋谷さんは、完全に「静」のモードで、理知的で素敵な一面を見せてくれた。
「動」のライブのときと、ぜんぜん違う感じ。控え目で落ち着いていて、芯のあるコメントを聞くことができた。やっぱり大好きだなぁと改めてリスペクト。
「やばい」「えぐい」について取り上げられていた。
私も「やばい」はよく使う。でも「えぐい」は使ったことがない。
私の感覚としてはけっこう最近、流行り出した言葉だと思うんだけど。
私の世代でも言われていたことだけど、本を読まない、活字に触れないから、今の若者って語彙が少ない。ぜんぶ「やばい」「えぐい」ですませてしまう。
言葉がないと、自分の感情がわからない。整理できない。言葉が感情を細分化して、自分が何を感じたのか整理整頓してくれる。
「やばい」「えぐい」で感情を処理するのは、ちょっと危険だなって思った。
豊かな言葉が、豊かな人間らしい感性を育んでくれる。
人間を人間たらしめるものーその第一が「言葉」だっていってもいいかもしれない。
だから現代社会で語彙が少なくなっているとしたら、心のレベルでは、現代人は退化しているのかも。
怖いね。
よく「思考停止」って言葉が使われるけど、言葉がなかったら思考することもままならない。
思考しないんじゃなくて、思考できる能力が退化へ向かっているとしたら、今の世界的な混乱も少し理解できる。
なんていうか・・この世界が土台から崩れていくような時代。
土台となっているのは「調和」とか「友愛」とか「協調」とか・・そういう言葉で表されるものだと思うんだけど、そこが崩れてきている感がある。
「自分たちさえよければいい」
そこには、思考がない。短絡的で刹那的で無責任だと思う。そこには未来への想像力がない。破滅的でさえある。
今、人類はそっちに傾いてきている。
考える人、あるいは「考えることのできる人」の比率が下がってきているせいかもしれない。
そこには、言葉へのリスペクトの欠如が少なからず関係しているかもしれない。
この番組みたいに、いろいろ討論できればいいよね。
自分の考えを表現する場があるだけで、自然に語彙は増える。思考ができる。
振り返ると、小中高と学んできたけどそういう機会はあまりなかったなぁ。
特に中学高校はひたすら先生の言うとおり、コピーしていただけだった気がする。
集団生活のなか、「個」として扱われなかった気がする。
日本の学校って「ひとりひとり」として扱われる経験が少ないんだよね。
自分の考えを持つことが推奨されないというか、尊重されないというか。
自分の意見を述べるなんて機会はほぼ与えられないから、「思考する」機会がなくて、それが社会のいろんなところに歪みを起こしていると思う。
日本の子供の幸福度は低いと言われる。
昨年の子供の自殺数は過去最高だった。この少子化のなか。
理由は複雑でいろんな要因があるんだろうけど、「個」を尊重してもらえないということも背景にあるのではと思う。
「ひとりひとり」をみつめないと、「ひとりひとり」の幸福はないんだよ。
ひとりの人間の個性を尊重しないことは、その子の幸福を奪うことになるんだよ。
経済だけを幸福の指標としてきた歪みを、子供たちが映し出している。
もっと「子供の幸福」が語られてほしい。
経済至上主義の狭い視野のなかに「子供の笑顔」が入りこんでほしい。
今、いろんな面で、もう事態は本当に深刻だけど、それは大切なものをないがしろにしてきた結果だと思う。
でもまだ希望はある。そう子供たちに語りかけることのできる大人でありたい。
言葉とか理性とか想像力の力を信じたい。
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