DIARY

誕生日。ひとり静かに過ごした。

不意に不思議な心地におそわれた。


私の体は宙に持ち上げられ、この世界を離れたところから見下ろす

「私はいつか死ぬ」

生まれた日にそのことを有り有りとつかむ

私の得たいすべてが、私の手の届く距離に丁寧に並べられる

「すべてはここにある」

すべてがそうささやく


私は永遠を呼吸する

この刹那に永遠があること

そのことを感じとる深い充足感が 私の体を満たす


大海原のざわめきと共にすべての命が歌う

月明りのもと 生きるものたち

その鼓動

この瞬間に奏でられる交響曲


私もそのひとつ

小さなひとつ

そのひとつということが嬉しい


私はいつか帰る

私が来た場所へ

「どこ」

それは私の胸のなかにある


もうすでに手にしている

「すべての答え」

答えはすでに ここに並べられている

手を伸ばせば届くところに


だから何も怖がらなくていい

私は生きている

それだけでいい


「有る」ということのなかに

すでにすべてが存在しているから


地球の喧騒を離れて 静寂の宇宙にただずむ

星たちはすべてを知っている

この地上のいざこざや悲哀、憎しみ、怠惰

すべてを包みこんで 空から優しく微笑む


この世界は光に満ちている

そのことを知っていたい

そのことに気づいていたい

星たちのように

微笑みながら この世界を生きていたい


いつか「さよなら」するとき

やっぱり涙するだろう

この星を愛していたと

心から愛していたと

「愛しい」

その心に満たされて

私はこの星を去るだろう


私の得たいすべてに囲まれて







先日読んだSUPER BEAVERの渋谷さんのインタビュー。

感動した。

「自分のため、誰かのためっていうのが少しずつ結びついて、一緒くたになってきた。そういうところに今、半歩踏み出せている」

「自己と他者の調和」は私にとっても重要な人生のテーマ。

「自分のためが誰かのため」ってなかなか結びつかないような世界に私たちは生きている。

自然にはそこへたどり着けないような世界に生きている。


「自分のため」と「誰かのため」が重なり合う。

それができれば、きっと世界は平和になる。きっと心穏やかに生きられる。

充実した生を生きられる。


だけど、私たちはそうした世界に生きていない。

私たちはゼロサムゲームのなかを生きている。

相手に与えると、自分が損をする。

相手が1増えれば、自分は1減る。自分が2増えれば相手は2減る。

1+1=2はない。

「相手も自分も得をする」ことはない。

常に「奪い合う」という考え方。

それがゼロサムゲームなんだけど、それは特に政治の世界で顕著で、

他国の利益と自国の利益が常に衝突しているような世界に私たちは生きている。

激しい競争のなか、人類は限られた資源を奪いあって生きていると言っていい。


「自分のため」と「人のため」がぶつかり合う世界。

「自分の利益と他人の利益が衝突する」

戦争のねっこにはこの考えがあると思う。

戦争の種は私たちの日常に潜んでいる。

私たちが子供たちに教える「ひとつひとつ」に潜んでいる。

つまりは、「あなたの思考」のなかに潜んでいる。


思えば、学校でも、やたらと競争させられた。

ライバルを蹴落とす方法をいろいろ伝授された。

特に高校は進学校だったから、すごかった。

代わりに「他者といっしょに生きる方法」を、「他者への思いやり」をもっと教えてほしかった。

学校という場所はそういったことを、少しも教えてくれなかった気がする。

ただ「社会の歯車」となるための訓練をひたすら受けていたような気がする。

大げさに言うと、だけど。。

「共に生きていく」ことについて「わかちあうこと」についてもっと教えてほしかった、と大人になった今思う。


今、人類はまるで滅亡に向かって暗闇へと一歩一歩進んでいる。

大規模なパラダイムシフトが起こるしかないのかなぁと思ったりする。

パラダイムシフトとは、その時代に当然とされていたものの見方や価値観、常識が劇的に変化すること。


歪んでいるのは人の思考の在り方だと思う。

科学を使いこなすだけの知恵がない。科学が進むほどに、逆に人間の首を絞めているかのような時代。

宇宙へ行けても、スマホを持っていても、温暖化を止める知恵を持ち合わせていない。

科学じゃないよ。人類を救うのは。。

未だに科学による解決を探るような人類の姿。

そこに違和感を感じるのは私だけではないと思う。

科学による恩恵を否定する気はない。だけど、科学や経済の発展が人類を救うという進歩主義は、もう限界に来ている。

「科学が進むほど、人間は幸せ」なんて、もはや成り立たないことを時代が証明している。


気候変動によって何万もの人が命を失い、家を失い、生活を失っていく。

悲惨な戦争もなくならない。

作物もだんだんと実らなくなってきた。今までの「当たり前」が崩れていく。

科学は為すすべなく、それを眺めている。


変わるべきは人間。人間の心。

「自分のため」は「人のため」って考える人が増えれば、きっと世界は変わる。

戦争はなくなる。

「自分さえよければいい」がきっと戦争をつくる。

今、人類はきっとギリギリの分岐点にいる。

まだ間に合う地点にいる。

滅びの道から引き返すことができるかどうか。

それは人間にかかっている。

私たちひとりひとりの良心にかかっている。


人間が壊してしまった世界。

それを修復できるのも人間だけ。

そう思います。



今日は焼きナスをだしつゆに浸して食べた。あとビーツっていう赤カブにマヨネーズとドレッシングをかけて、豚肉を醤油と酒で炒めた。すごく美味しかった✨

あまり凝ったものは作らないけど、料理は好き。料理して美味しいものを食べると

「ちゃんと生きてる」って感じがして好き。私はグルメじゃないし、外食したいともあんまり思わない。自分のつくる料理で十分満足です✨


今日「私の日々が言葉になるまで」っていうEテレの番組を観た。

SUPER BEAVERの渋谷さんが出演してるから観たんだけど、すごく面白かった。

出演者が言葉について考え、すごく和やかで穏やかな雰囲気のなか、意見交換をする。

ちょっと新しい番組だなと思った。

渋谷さんは、完全に「静」のモードで、理知的で素敵な一面を見せてくれた。

「動」のライブのときと、ぜんぜん違う感じ。控え目で落ち着いていて、芯のあるコメントを聞くことができた。やっぱり大好きだなぁと改めてリスペクト。


「やばい」「えぐい」について取り上げられていた。

私も「やばい」はよく使う。でも「えぐい」は使ったことがない。

私の感覚としてはけっこう最近、流行り出した言葉だと思うんだけど。

私の世代でも言われていたことだけど、本を読まない、活字に触れないから、今の若者って語彙が少ない。ぜんぶ「やばい」「えぐい」ですませてしまう。


言葉がないと、自分の感情がわからない。整理できない。言葉が感情を細分化して、自分が何を感じたのか整理整頓してくれる。

「やばい」「えぐい」で感情を処理するのは、ちょっと危険だなって思った。

豊かな言葉が、豊かな人間らしい感性を育んでくれる。

人間を人間たらしめるものーその第一が「言葉」だっていってもいいかもしれない。

だから現代社会で語彙が少なくなっているとしたら、心のレベルでは、現代人は退化しているのかも。

怖いね。

よく「思考停止」って言葉が使われるけど、言葉がなかったら思考することもままならない。

思考しないんじゃなくて、思考できる能力が退化へ向かっているとしたら、今の世界的な混乱も少し理解できる。

なんていうか・・この世界が土台から崩れていくような時代。

土台となっているのは「調和」とか「友愛」とか「協調」とか・・そういう言葉で表されるものだと思うんだけど、そこが崩れてきている感がある。


「自分たちさえよければいい」

そこには、思考がない。短絡的で刹那的で無責任だと思う。そこには未来への想像力がない。破滅的でさえある。

今、人類はそっちに傾いてきている。

考える人、あるいは「考えることのできる人」の比率が下がってきているせいかもしれない。

そこには、言葉へのリスペクトの欠如が少なからず関係しているかもしれない。


この番組みたいに、いろいろ討論できればいいよね。

自分の考えを表現する場があるだけで、自然に語彙は増える。思考ができる。

振り返ると、小中高と学んできたけどそういう機会はあまりなかったなぁ。

特に中学高校はひたすら先生の言うとおり、コピーしていただけだった気がする。

集団生活のなか、「個」として扱われなかった気がする。

日本の学校って「ひとりひとり」として扱われる経験が少ないんだよね。

自分の考えを持つことが推奨されないというか、尊重されないというか。

自分の意見を述べるなんて機会はほぼ与えられないから、「思考する」機会がなくて、それが社会のいろんなところに歪みを起こしていると思う。


日本の子供の幸福度は低いと言われる。

昨年の子供の自殺数は過去最高だった。この少子化のなか。

理由は複雑でいろんな要因があるんだろうけど、「個」を尊重してもらえないということも背景にあるのではと思う。


「ひとりひとり」をみつめないと、「ひとりひとり」の幸福はないんだよ。

ひとりの人間の個性を尊重しないことは、その子の幸福を奪うことになるんだよ。


経済だけを幸福の指標としてきた歪みを、子供たちが映し出している。

もっと「子供の幸福」が語られてほしい。

経済至上主義の狭い視野のなかに「子供の笑顔」が入りこんでほしい。


今、いろんな面で、もう事態は本当に深刻だけど、それは大切なものをないがしろにしてきた結果だと思う。

でもまだ希望はある。そう子供たちに語りかけることのできる大人でありたい。

言葉とか理性とか想像力の力を信じたい。






私は星占いが好きだ。正確には好きだった。

学生時代、または20代のころ、星占いに限らず、雑誌のいろんな占いの特集を

片っぱしから立ち読みしてた。電車の待ち時間とかにね。

でも「信じているか」と聞かれれば、わからない。

一部、信じているというか・・占いって当たったり当たらなかったりするよね。

で、その「当たったり、当たらなかったりする」文章を読むのが私は好きだった。

「これは私に当てはまるなぁ」「これはぜんぜん違う」っていう具合に。


そういうYESとNOの思考をすることが好きだった。

YESとNOを繰り返しているうちに、自分を分析できるというか、星占いの緻密な言葉で私の内面を発見できるというか。

「自分ってこうなんだ」っていう発見が面白くて読んでいた。

「当たりはずれ」はもはやどうでもいいというか。

だから「当たるところだけ」信じている、というのが私の星占いへのスタンスかもしれない。


今、久々に昔買った星占いの本を読んでみた。

やっぱり当たってるところと当たってないところがある。


私は乙女座なんだけど、乙女座のキーフレーズは

I analyzeー「我、分析す」でこれはめちゃくちゃ自分に当てはまっている。

私、分析ぐせあるんだよね。いちいち何かと日々、分析している。

自然と、理由とか原因を考えてしまう。


「乙女座は自分の思い込みで判断することを恐れるので、客観的な基準を重視し、それに基づいて行動します」

これも当たってる。私は感情というものを、どこか信じていないところがある。

感情で動いて、間違えてしまうことを恐れている、というか。

私の判断の基準は「正しいかどうか」

自分の喜怒哀楽より、それが「正しいのかどうか」を重視していると思う。

感情は移ろう。そしてとても不確かなもの。人によって違うもの。

それよりも確かな基準を求めている。それが私にとっては「正しさ」なのだと思う。

「正しいかどうか」をジャッジするには、かなりの客観性と見識が必要となる。

だから常に「学びたい」と思っている。

「乙女座は勉強熱心で、師について修行するような形で学びを深める人もいます」

なるほど。当たってます。


「乙女座は地の星座なので、実際性を重視します。言葉遊びや、理論のための理論のような知的な遊びには興味がないようです。整理、分類、分析、配合、配分に優れ、正確に自分の世界を把握し、管理しようとします」

これもすごく当たっている。私は、自分の世界をいつもわかっていたい。

できれば100パーセント。(無理だけど。)

「自分と世界を理解すること」ーこれは私の重要な人生のテーマ。


「そんな乙女座が苦手とするのは、主観的な自分の気持ちをつかむこと。きちんと合理的に説明のつくことしか認めない傾向が強いため、自分の実感を軽視しがちです」

ふむふむ。感情に流されたくない私に当てはまっているかも。


「乙女座は好き嫌いを聞かれても、一瞬とまどってしまうことが多いのではないでしょうか。そういう自分のわがままな主観に意識が向けられていないためです」

これは正直、当たってない。私はけっこう「好き嫌い」がはっきりしているし、とても主観的に物事を捉えている。

それは感情にまかせているというわけじゃなくて、自分の「ものさし」というものをとても、はっきりと持っている。

その「ものさし」というのは、これまでの人生のなかで、まさに自分を世界を他者を「分析」し、「何が正しいか正しくないか」に思考をめぐらせて手にしたもの。だから私は自分の感覚をすごく信じている。「直観」と言いかえてもいいかもしれない。

私はとても「感覚的に」生きている、と言っていい。


でもそれには客観的な他者の視点が必要になるわけで・・難しいね。

主観と客観は、そこまで対立するものではないのかもしれない。

自己の主観的なものさしが、他者の客観性により確立されているものであるならば・・

だから自己の主観的な「ものさし」がぶれないように、どこまでも客観的な他者からの「学び」が重要となる。その意味で、生涯、勉強だよね。


「感覚的に生きている」って書いたけど、感情的にはなりたくない。

感覚と感情は違う。感覚は自分の思考、経験、分析によって積み上げられた自分のなかにある「確かなものさし」に基づいて働くもの。

感情のように揺らぎ、変化し、明日になったら消えてしまうような不確かなものではない。


他にもいろいろ書いてあるんだけど、この本の乙女座について書いてあることは、私にほぼ当てはまっている。

すごいよね。自分が生まれた日の星の配置と、自分の内面がどこかでリンクしているって考えると。

星占いのそういうアイデア自体が好きなんだよね。

自分と星の動き、宇宙がリンクするっていう考え。神秘的だし、ロマンがある。


というわけで、「自分を知る」ために私は占いを活用してきました。

でも当たってないこと、自分に都合の悪いことはあんまり信じてません。

星占い、自分を分析したい人におすすめです☆彡









久々にBUMP OF  CHICKENのアルバム「RAY」を聴いた。

めちゃくちゃよかった。

藤くんはやっぱり天才だね。そのソングライティングに圧倒されました。

おかげで心が回復しました。

最近のニュースの波。混乱と混沌。心がやられそうになる。

ほっとくと、どこかへ流されそうになる。

だから、こういう自分を取り戻す時間って大切。

BECKの歌詞を思い出した。

「I'm driving the night just to feel OK」みたいな歌詞。

「大丈夫って思うためだけに、夜、車を走らせる」

そうだよ。「大丈夫」って思うためだけに私は音楽を聴くよ。


このアルバムの「グッドラック」の歌詞が心に刺さった。

「魂の望むほうへ」

いい言葉。

どんな荒波のなかでも、羅針盤となってくれるのはきっと自分の魂の声。

どんな暗闇のなかでも灯かりになってくれるのは、きっと心の奥で響く声。

だから毎日、注意深く「魂の声」に耳を傾けないといけない。

そうしないと足元をとられる。

自分の「魂の声」がわかっていれば、きっと人は落ち着いて、安心のなか生きていける。

きっと道を誤らないで、生きていける。


音楽のくれる「調和と美しさ」に触れるとき、私は自分の魂に触れることができる。

自分の心のかたちに触って、自分を確かめることができる。

自分を見失うとき、人は間違った方向へ流されてしまう。

「魂の声」が聞こえなくなって、行先を見失って、船は転覆する。

怖いね。誰の船も嵐にのまれて転覆するかもしれないということ。

考えれば「生きる」って怖いことだよね。凄まじいことだよね。


でも「魂の望むほうへ」進むことができたならば、きっと灯台は見えてくる。

いつだって灯かりをみつけることができる。


音楽は私の灯台だよ。

本当に。


「君の生きる明日が好き。

そのときとなりにいなくても。

言ったでしょう。

言えるんだよ。いつも一人じゃなかった」


「グッドラック」の歌詞。

すごいよね。この歌詞。

「あなたと私」の関係をこんなにも明瞭に、簡潔に表す歌詞が他にあるだろうか・・

いっしょにいなくても、あなたを思う。心から。

となりにいなくても、あなたの生きる未来を愛する。

一人でも「独り」じゃない

いっしょにいなくても、となりにいなくても、あなたのすぐそばにいる。

心は少しも離れない。


考えれば、人と人っていっしょにいられる時間は僅か・・というか限られてるよね。

きっと長い目みるとき、「いっしょにいられる時間」より、「いっしょにいない時間」のほうが長い。

「いっしょにいる時間」よりきっと「いなくなってその人を思う時間」のほうが長い。

これは単に時間的に、っていうことじゃなくて感覚的に。

「いない」時間のほうが、きっと重くて長い。


出会いと別れはセット。

いっしょの時間は特別で宝物。

でも、いっしょじゃない時間も宝物。

そのことをこの曲は歌っているんだと思う。


いつだって「あなた」は大切だよって。いつまでも宝物だよって。

そう思える大切な出会いが人生を輝かせる。

私にもそういう出会いがいくつかあって、私という存在の基盤となってくれている。

「人は一人ではない」ってよく言うけど、本当にその通りで・・・

いろんな出会いが、私という存在をつくってくれている。

それを自覚していたいな。いつも。

この曲が歌ってくれているみたいに。

それを自覚するかしないかで、大きく変わると思う。いろいろと。

それを自覚するとき、きっと自分を抱きしめることができる。自分を大切にすることができる。まわりの世界を大切にすることができる。


出会いと別れはセット。

生と死は表裏一体。

その自覚と覚悟でもって、生きていきたい。

そのほうがきっと後悔がないし、美しく人生が輝くと思うから。






フジファブリックの「若者のすべて」を聴いてはらはらと泣いた。

音楽を聴いてこんな風になくのは久しぶりのことだった。

名曲。


フジファブリック、いいバンドだよね。

jpopというより和製ロック。60年代から続くロックの流れを汲みながら、日本語で見事にそれを表現している。ロックの真髄ともいえるものを感じる。


「最後の花火に今年もなったな。何年経っても思い出してしまうな。

ないかな。ないよね。きっとね。いないよな。

会ったら言えるかな。

まぶた閉じて思い浮かべているよ」


せつない。

きっと大切なあの子のことを思って、花火を見ながら

「もしかしたら会えるかも」

「今、会ったら言えるかも」・・・胸の奥にしまい込んだ大切な思いを。

花火の人だかりのなかにあの子を探して、いろいろ思いだして・・

そして「最後の花火」になったとき何かが強烈に胸に迫る。

そんな歌詞だと思う。


何かが終わるってせつないよね。始まりがあれば終わりがある。

当たり前のことだけど、すべてが終わりに向かって進んでいることを思い知らされるというか。

終わったときに気づくことがある。

花火が終わったとき。

もう見れないんだなぁって淋しくなる。

もっとちゃんと観ればよかったとか、もっと写真を撮っとけばよかったとか。

終わったときに人はいろいろ思いを馳せて後悔したりする。

美しい花火。夢中でみつめていて、何か奇跡が起こるんじゃないかって期待して。あの子がもしかしたらいるんじゃないか。もしかしたら話せるんじゃないか。言葉にできなかったことを今なら言えるんじゃないか。

そんなときめきがこの曲から伝わってくる。


一瞬を愛おしむこと。

終わりを知って浮かびあがる真実。

それが「若者のすべて」なのかなぁ。

この一瞬を生きるエネルギーの凄まじさ。

その一瞬をこんな風に音楽に閉じ込めて、こんなにもその情景が音からあふれだす。

こんなにも胸に迫ってくる。すごいなぁ。

感嘆。


何ていうか今流行っている音楽に「根無し草感」を感じることがある。ふっと現代に種をもって咲いているというか。過去や歴史とのつながりを感じないというか。それこそが「今風」で今の若者に刺さる音楽なのだろうけど。でも私は60年代、70年代・・90年代・・と過去の音楽とのつながりを感じられる音楽が好き。その系譜で響いている音楽が好き。

フジファブリックはそういう音楽だと思う。


終わりって大切だよね。終わりから学ぶものがたくさんある。

そういう意味でも私は年末年始を大切にしています。終わりと始まりがセットで明確に味わえる不思議な時期。

特に年末のせつない感じには思うことが毎年、多々ある。


フジファブリックのボーカルの志村さんは29歳で急逝した。

こんないい曲をかく人が・・・って思った。

今、生きていること。当たり前じゃないよね。

終わりがあるからこそ、この一瞬がきらめく。この一瞬を大切にできる。

終わりがあるから今が輝く。

メメント・モリー「死を思え」。好きな言葉。


終わりを意識するとき、きっとすべてが変わる。

いたずらに死を恐れる必要もない、ということもわかってくる。


「死をみつめること」

「終わりを意識すること」

そこから私は多くのことを学んできたから。


大切なことが日常にかき消されそうになったとき、名曲がきらめきをくれる。

ありがとう💙

ふー・・一週間終わった。今週はちょっと頭痛とかして大変な日があったけど、何とかのりきれた⭐

今、ノンアルのぶどうサワー飲みながら、SUPER BEAVERの「愛する」を聴いた。

名盤。聴くほどにいい。最初から最後まで名曲ばかり。そんなアルバムめったにないから、この出会いに感謝。幸せな週末をありがとう💙


このアルバムの何が好きかって「この瞬間をかみしめたい」っていう深い思いを感じるところ。

「今を大切にしたい」っていう思いがあふれてて、私の心を持ち上げてくれる。

人生を大切に生きている人の音楽。成熟した大人の音楽。

「愛する」っていうタイトルの通り、「今を愛する」ーそんな曲たちが詰まっている。

「今」が愛しくて愛しくてたまらない。

「今」が大切でたまらない。

この瞬間をただ抱きしめたい。

少しも逃げずに、「今」という瞬間のかけがえのなさを歌った音楽。


「今を大切にしたい」・・このアルバムを最後まで聴いているなかで、浮かびあがってくるテーマ。

こういう普遍的なテーマを感じさせる作品って何回聴いても飽きない。

むしろ曲への理解が深まって、もっと好きになるし、もっと聴きたくなる。何回も何回も。

そういうアルバムってあんまりないよね。流行りものじゃなくて、時代を超えていくような作品。ただ、日常からあふれてくる音楽に身をまかせる。その姿勢に共感します。


話かわるけど、今年めっちゃワンピース買ってます。数えてないけど、7着くらい買ったと思う。昨日はめっちゃ可愛いのをプチプラで買えました。

いつか大切な日に着たいおしゃれなワンピ。

その「いつか」はいつ来るのかわからないし、普段着ないのなら要らないのかもしれない。

買ってから一回も来てないおしゃれ服ってあるよね。みんなきっと。

でも買ってしまう。

その「いつか」を夢みて。

それって、まるで「未来を買う」みたいだなって思った。

未来を夢みて想像して・・その未来が欲しくなって、その未来に備えるためにお金を使う。

服ってちょっとコレクションみたいな側面もあるよね。

持ってるだけで心地よいというか。

「いつか」への備えとしての安心感があるというか。

持ってるだけで宝物。「いつか」のピカピカの未来がそこには詰まっているから。


「いつか」の未来のために用意するっていいなぁ。。

その瞬間、人は夢みてる。

「人生は実際にどうかより、何を夢みたかなの」

ココ・シャネルの言葉。

すごくわかるなぁ。毎日、何で自分の心を満たすのか・・

ココ・シャネルはきっと「あんな服があったら素敵。こんなアクセサリーを身につけたい」

って毎日、忙しく夢みて、夢心地のなか次々と作品を生み出していったんだろなぁ。


私も忙しく夢みていたい。

憧れやきれいなもので心を満たしていたい。

心に描く世界は無限であり自由。

だから美しいもので心を満たしたい。


今日聴いた「愛する」も私に美しい感情をくれた。

私は現実をふっと超えて、本当の自分に触れることができたと思う。

アートはいつだって美しいものをくれる。

自分のなかにある美しいものに触れさせてくれる。

心の奥底に沈んだ思いに気づかせてくれる。

最後にココ・シャネルの名言を。

「美しさは、あなたがあなたらしくいると決めた時に始まる」




週末だ⭐今週はわりとHAPPYな気持ちで過ごせました。お天気もよかったしね✨

初夏もいいね。萌えるような緑がまぶしかった。


SUPER BEAVERの渋谷さんのこの間のエッセイで思うことがあった。

「セクハラ、モラハラ、パワハラ。ハラスメントも多様性の時代だからみんながみんなで生きやすい世の中にしていかなきゃいけないからね。誰もがハッピーで、どこみてもクリーン、コンプライアンス最重視で超最高。」

昨今の時代の流れに苦言を呈したわけだけど、ちょっと考えさせられた。

モラハラ、セクハラ、パワハラに対して社会が厳しくなってきているのは個人的には

とても良いことだと思う。そういうのが、まんま放置されてきたのが昭和という時代で、令和になってみんなが声をあげるようになった、というのが私の感覚で被害にあう人が「泣き寝入り」しなくてもよい社会になってきたことは、とてもいいことだと思う。


でも渋谷さんの感覚もすごくわかるんだよね。

ちょっと「行き過ぎてませんか??」っていう。

なんかギスギスした世の中になっていませんか?っていう感覚。

みんながハッピーでクリーンになるために、「揚げ足をとって」「重箱の隅をつつく」、みたいな。

自分と違う意見に対して攻撃的になっていないかな。

他者への攻撃性が増していないかな。

かえって他者への寛容さが失われて「優しくない社会」というか・・・

現代という殺伐とした砂漠がますます広がっていく。そんな空気を感じるのは私だけではないと思う。

なんでもハラスメントや多様性でくくって、他者への想像力や柔軟な思考、思いやりが欠けて、それこそ多様性が失われて本末転倒になっているかのような風潮。


以前、「男の子だから車とか電車が好きだよね」って何気なくつぶやいたとき、

「男の子とか女の子とかでくくるのはよくないよ」と軽く注意されたことがある。

その人は私がジェンダーハラスメントをしたと思ったのだろう。

私はちょっと納得がいかなかった。

そんなこと言われたら、返す言葉がない。

こんな風にハラスメントとして切り捨てて、会話がとぎれることもひとつのハラスメントではないかと思ったくらい。

会話として面白くない。趣きがない。コミュニケーションってもっと気楽で、柔軟であたたかいものじゃないかな。ボールを投げあうものではないかな?とれないボールをスパイクで打つのは、ある意味相手に失礼だよ。

こういう個人の何気ないつぶやきをハラスメントとして切り捨てるのは、どうかと思う。

いろんな男の子がいることは私も重々承知しております。


ちょと行き過ぎてるなって正直思った。

そうだよ。何事も行き過ぎるのはよくない。


「個性だ。多様だ。それもまた枠だった」

SUPER BEAVERの「切望」っていう曲の歌詞。

今の時代、「個性」「多様性」という言葉が先走っている感があるけど、

「本当にちゃんと尊重されているの?」っていう問いかけだと思う。

ただ形だけ。中身を伴っていない。

もっと言えば他者への攻撃の材料にすらなっている。

枠からはみ出る人を許さない、みたいな。


表面的なんだよね。そこに欠けているのは人間のぬくもり。

ネットやSNSを覗くと他者への攻撃性がかえって増していると感じる人も多いと思う。

もう、本当にすごいよね。「揚げ足取り」が。もはや恥知らずと言ってもいいような。


極端に走って他者を切り捨てるというのは、人類の歴史においてままあることだけど、

国家でなく個人がかたまりになって、個人をこんなにも攻撃するように、あるいはできるようになったのはネットやSNSによってもたらされた初めての現象かもしれない。


SNSが社会をより不安定で不透明にしていると感じているのは、私だけではないと思う。

クリーンで誰もがハッピーという理想を掲げているはずなのにね。

現実とのギャップがすごい。どんどん生きづらい社会へなっていく。

子供の幸福度が低いことも気になる。

人としての柔軟な思考、思いやり、想像力が失われていくような時代。


「ひとりひとり」なんだよ。

大切なのは「ひとりひとり」

ひとつの言葉や価値観で「ひとり」を、ジャッジしたりカテゴライズしてはいけない。

目の前にいる「あなた」を尊重すること。

ひとりひとりを大切にしないと、どんな理想も空回りしてしまう。

ひとりに焦点を当てて、ひとりを大切にするしかないんだと思う。

そして「ひとりの人間として大切にされた」という経験が、実感が幸せを生み出していく。

そう思います。


みんながハッピーでクリーンという理想を守るのに躍起になるより、

ひとりひとりをみつめる想像力、柔軟性を大切にしたい。







今日は久しぶりに何の予定もない休日でゆっくりできました✨

かきかけの曲もかいて、完成させることができた。楽しかった。

曲かかないと、なんていうか息がつまってくるんだよね。

だからお金より時間かもしれないな。私の場合。ゆっくり曲をかく時間、余裕が必要。

もうMUST。


この前のGW、久しぶりに6歳の甥っ子とゆっくり遊びました。

そこでちょっと笑えることが起こった。

それはうちのワンコ。

甥っ子と私がおもちゃでいろいろ遊んでるのをじっと見てて・・

その後、驚きの行動をとった。

なんと!!私のひざにのってきたのです!

当たり前と思った方、違うんです。うちのワンコにとっては普通でない行動なんです!


うちのワンコは座敷犬のくせに、絶対にひざにのらない。

無理にのせようとすると「ヴー・・」となんともいえない声を発してすぐに飛び降りる。

すごく甘えんぼなのにね。なぜなのかは謎です。


そのワンコが!なんと!!自ら私のひざにのってきたのです!!

そしてずっとそのまま私のひざの上に居座ったのです!

私と甥っ子が遊んでいる間、ずっと。それは初めての出来事でした!

驚いた私は理由を考えて、すぐにわかりました。

それは「ジェラシー」

私の甥っ子へのジェラシー。

私がずっと甥っ子と楽しそうにしている姿を見て、きっと淋しくなったのでしょう。

きっと私をとられたと思ったのでしょう。

自分も遊びにまぜてほしかったのでしょう。


笑ったwww・・可愛すぎだろ。

自分ではその単純極まりない行動の可愛さに、気づいてないところも笑った。

10歳こえたワンコが、自分より年下の6歳の甥っ子にライバル心を燃やしているところも笑った。

そして超絶に愛おしくなった。

もう世界一可愛いワンコだよ💗


うちのワンコは歳をとらない。歳っていうのは精神年齢のこと。

10歳こえてるのに、中身は5歳児のまんま。

本当に子どものまんま。子犬のまんま。

今まで飼ってたワンコはみんな、歳をとるとそれなりに大人になったからちょっと珍しいケースかもしれない。

もう考えてることが単純でバレバレで、愛おしいんだよ。

甘えんぼでいつもそばに寄ってきて、24時間、さわると喜ぶ。

もう可愛さのかたまりだよ。

でもたまにはひざにのってほしいな💗


というわけで、うちのワンコは世界一です。

世界一、愛しています。

私たちは相思相愛です。

これからもよろしくね✨✨✨


こんな可愛いジェラシーなら大歓迎だよ。

「食べること」と「私といっしょにいること」しか考えてない、望んでいないうちのワンコが大好きです💗

「大切なこと」しか考えていないうちのワンコからいろいろ学んでます。

こんな小さな体で大事なことをちゃんとわかってるワンコを秘かに尊敬してます。

いつもありがとう💗

「まなざし」

SUPER BEAVERの新曲。

まさに目が覚めるような直球ストレート。

みんなが思ってても言えないことを曲にしてくれた。


「好きか嫌いかなら好きだよ。でももっと優しさがはびこって」

「折り合いつかない憤りをわりきらないで真っ当に悩んであがくから笑える」

この曲は、この世界へ時代へ向けたもの。

もう本当に笑えない世界になってきたよね。本当に。

もう向き合うのもしんどいよ。これがみんなの本音かもしれない。

でも向き合わないのは・・不正解だよ。

あなたが考えるのをやめれば、ますます世界は闇にのまれていく。


どんな「まなざし」で世界を見ているの?

そうこの曲は問いかける。

あなたの立ち位置は?半径何メートルまでがあなたの世界?

どこまでをどうみつめているの?


どんな「まなざし」でこの世界をみつめるのかー

その連なりがこの世界を形づくっている。


「希望になり得るのも愛を伴う情だって信じたい。信じる以外に希望はない」

すごくまっすぐな歌詞。

本当にまっすぐこの世界と対峙して紡がれた言葉。

希望は愛だと歌う。希望は人間の心だと歌う。

逆を言えば、すべての問題は人の心が引き起こしたものだ。

「心こそすべて」

これはもう、真剣に世界をみつめて生きているすべての人の共通認識だと思う。

宇宙も地球も、今日も正しく人間を生かすために動いている。整然と動いている。

不協和音を出して、狂っているのは人間の心だよ。

小学生のように率直に素直にこの世界にみつめたら、自ずと見えてくる真実。


「騙し絵みたいな今日に足りていないのは愛だよ。もう生々しい意味で」

すごい歌詞だなぁって思った。

騙し絵とは、

「見る人の錯覚を利用していろいろに見える絵。特に、部分的には自然に見えても、全体では無理な空間的配置に描いた絵。例、溝を流れ下る水を追って行くと、いつしか元の所に注ぎ落ちる絵。」のこと。


現代アートでいくつか見たことがある。

みんな錯覚しながら、この世界を生きている。ここから見たらまっすぐな線も、違った人が見たら曲がっている。怖いね。もうひとつの世界をシェアすることも叶わなくなってきた。

ネットやSNSのなかで、違う真実がいくつも形成されて・・どれが本当かわからなくなってきた。錯覚して騙されるのが当たり前になってきた。騙し絵にいくら目をこらしても、本当の姿は見えない。

みんな、騙し絵みたいな世界をみつめて生きている。

もう複雑すぎて見ることもやめているのかもしれない。そして思考停止に陥る。思考できるほどの希望もないのかもしれない。


「絶望なんか絶対するなよ」ってビーバーがこの曲で叫んでくれているように感じた。

希望と絶望のせめぎあいのなか、私たちは生きている。

どちらへ向かうのか・・

まだ賢明な選択をする余地が残されていると信じたい。

人間を信じたい。

子供のようにまっすぐこの世界をみつめたい。

みつめる方法は・・私の場合、音楽だった。

なかなか見えない本当のことをアートに教わってきた。

私なりの真実をつかんできた。真実はいつも泥のなかにあった。

海底に沈む真珠のように、深く潜らないと手にできないものだった。

それには息を止める苦しさを伴う。


騙し絵のなかで、だまされないように生きるのは時代に逆行することでもある。

流されない勇気。強さ。息を止める覚悟。

この世界をみつめる意志。

意志があれば、きっと「本当の姿」をみつめることができる。

ビーバーがこの曲でくれた心意気に私も連なるよ。

本当のことを歌ってくれてありがとう💙

優しい「まなざし」で世界があふれますように💙

keep your hope in mind







最近ノンアルに変えました。試しにノンアルを買ってみたら、すごく美味しかったから。

お酒は嗜む程度で酔うほど飲んでなかったので、ぜんぜんいい。No problem.

だから体のためにノンアルにしました。

お酒は思ったより体に悪いこともわかったしね。。

「免疫に悪い」とか「消化器系を炎症させる」とか「眠りが浅くなる」とか・・

ノンアルで十分、満足してます✨


最近、生きてることって奇跡だなぁってたまに思います。

いろいろな奇跡が積み重なって私という存在が有るということ。

くもの糸のように奇麗に奇跡が私の周りに張り巡らされて、私という存在を保っている。

私はその糸の真ん中にいる。いろいろなものに守られている。

見えない糸に守られてここに有る。


SUPER BEAVERの「贈りもの」っていう曲の歌詞がそのことを歌ってて好き。

「有り難いんだ。有り難い。有るってことは難しいんだ」

「普通じゃないよ。普通じゃない。今日だって当然じゃない」


そうだよ。「有る」だけで、存在するというだけで難しい。

いろいろな人、自然、恵みのおかげで今日もこうして私は生きている。

まさに「有り難い」。生きてるだけで「有り難い」。

「ありがとう」っていい言葉だね。

「有り難いから感謝」ってことだもんね。


当然じゃない今日をどう生きるかー

そういうことを考えさせてくれるビーバーの歌詞にインスパイアされる。

歌詞が真実でまっすぐで芯に当たってて・・


最近、残された時間を何に使うかってことを思う。ごく自然に思う。

そんなに歳とってるわけじゃないけど、無限に時間があると思ってた若者ではもうないからね。

時間は有限。すごく厳しい真実。

すべてに終わりがある。Nothing stays the same.

同じまま、留まれるものなんてひとつもない。

私も、世界も、宇宙も、瞬間瞬間変わっていく。


「一瞬を生きる」ーそういう生き方がきっと正解なんだろなってビーバーのライブを観ると思う。「明日はあると思うな」っていう生き方。そういう完全燃焼がきっと正解なんだろな。


柳沢さんはそういう曲をかくし、渋谷さんもそういうライブをする。

突き詰めれば「幸せ」なんだよね。

ビーバーがいつも歌うみたいに。

私の幸せ。あなたの幸せ。

自分の幸せと他者の幸せは衝突するようなものじゃない。

「あなたが幸せなら私も幸せ」っていうのが本来の姿だよ。

そう思う。これって奇麗ごとじゃない。

でも今の世界に一番足りないものかも。

「他者から奪って自分の幸せを獲得する。」

そういう流れが広がっていくような世界で怖い。

戦争はその最たるものだよね。。

正直、恐怖を感じる。

こんな世界で子供たちは何を感じてるんだろう・・・


だからせめて音楽は本当のことを歌っていてほしい。

ビーバーのまっすぐで優しい言葉に救われてます。

「傷ついても傷つけたくない」

「ひなた」って曲の歌詞。優しいね。本当に優しい。

柳沢さんは本当に優しい人なんだろな。


そういう優しさをもった大人が増えるしかないね。きっと。

明日、消えるかもしれない命を何に使うかー

ここに「有る」という奇跡を思って・・

そういう思考をする人が増えるしかないね。


本物が勝ってほしい。

本物のアートは人を救う。

本物の人は人を救う。

「人」が希望だとやっぱり思います。

「人」が何を思うかだと思います。


「何を思うか」ーその集合体でこの世界は形づくられているから。

ビーバーの音楽は私の思考を正しい方向へ修正してくれる。

そういう人、アートで世界が満たされますように。

崩壊へ向かうようなこの流れが修正されますように。


まだまだ希望はあるはずだから。






「夢を与える人間は誰より痛みを知ってる。

夢を与える人間は誰より孤独を知ってる。」


今聴いてたSUPER BEAVERの「ILP」っていう曲の歌詞。

深い。すごく深い。

それは10代のころ私が感じていたこと。

私は人より悩み深い人間だと自分で思っていた。

「なぜ生きるのか。死とは何か。恋愛って何なのか・・いつから自分は自分なのか」

いちいちいろんなことで悩んで、なんでみんなみたいにHAPPYに生きられないんだろう・・・と本気で悩んでいた。

でも私の好きなアーティストたちは私よりもっと深くいろいろと悩んでいた。

「ああ、私だけじゃない。上には上がいる」と10代の私は胸をなでおろした。

「まるで私のために悩んでくれてるみたいだ」と感じていた。


そうだよ。「アート」という夢を与えてくれる人たちはだれより悩んでいる。

この曲にあるように、誰より孤独を知ってる。痛みを知ってる。

そしてそれを魔法使いのように芸術に昇華して、みんなを救ってくれる。

暗い闇から宝石を取り出す魔法。それがアートだと思う。


Jason Mrazの曲に

「How old is your soul?」という歌詞がある。

「あなたの魂の年齢は何才?」

すごく好きな歌詞。

魂に年齢があるという発想が好き。

痛みを知る人ほど、孤独を知る人ほど、悩みを知る人ほど、

魂は深まっていく。それがきっとアーティストと呼ばれる人たちで、魂の年齢が高い人たちなのだと思う。


悩みのない人生は楽かもしれない。でもきっと得るものは少ない。

きっと魂は幼い。薄っぺらい。

悩みがあるから魂は深まる。成熟へと向かう。

ちゃんと生きてたら、悩みだらけなんだよ。

悩んでるほうがまっとうで普通。


悩みから逃げて逃げて、楽な道を探して、考えるのをやめて・・・

きっと待ってるのは「行き止まり」だよ。

「行き止まり」の標識を無視して無視して、走れるところまでブレーキをかけずにアクセルを踏み続ける。

それが今、私たちが生きる「現代文明」な気がする。

いつまで経ったらこの大きな車は止まってくれるのだろう。

「とまれ」の標識で世界はあふれているのに・・


ブレーキを踏むのはだれ?

踏んでいる人たちがバタバタと倒されていく。

力の支配。

経済への信仰。

欲望という名の暴力。

もういいよって毎日思ってる。


でも私は考えることをやめない。思考停止に陥ったりしない。

悩むことが正解だってもう気づいてしまったから。

今は10代のころの自分を全肯定できるよ。

私より悩んで考えている人がたくさんいる。まだ希望はある。


若者には悩んでほしい。そして大人がくれない答えを自分で探してほしい。

みつけてほしい。

そうする価値がある世界であってほしい。

そうする価値がある世界だってことを伝えたい。


だから前を向くよ。「one man army」として。

「独りの軍隊」っていう意味。

私の好きなジョン・メーヤーの歌の歌詞。

独りでも戦うって彼は歌う。彼もすごく深い魂の持ち主だと思う。


私もこの世界の仲間であり続けるよ。勇気をもって。

私をここまで導いてくれたアーティストたちのように✨

「あきらめない」人たちの列に連なりたい。

あなたがこの世界を見捨てた瞬間に、美しいものがこの世からひとつ消えることを知っているから。

自分のなかの美しいものを守れるのは、あなただけだから。

Please be one man army✨