週末だ⭐今週はわりとHAPPYな気持ちで過ごせました。お天気もよかったしね✨
初夏もいいね。萌えるような緑がまぶしかった。
SUPER BEAVERの渋谷さんのこの間のエッセイで思うことがあった。
「セクハラ、モラハラ、パワハラ。ハラスメントも多様性の時代だからみんながみんなで生きやすい世の中にしていかなきゃいけないからね。誰もがハッピーで、どこみてもクリーン、コンプライアンス最重視で超最高。」
昨今の時代の流れに苦言を呈したわけだけど、ちょっと考えさせられた。
モラハラ、セクハラ、パワハラに対して社会が厳しくなってきているのは個人的には
とても良いことだと思う。そういうのが、まんま放置されてきたのが昭和という時代で、令和になってみんなが声をあげるようになった、というのが私の感覚で被害にあう人が「泣き寝入り」しなくてもよい社会になってきたことは、とてもいいことだと思う。
でも渋谷さんの感覚もすごくわかるんだよね。
ちょっと「行き過ぎてませんか??」っていう。
なんかギスギスした世の中になっていませんか?っていう感覚。
みんながハッピーでクリーンになるために、「揚げ足をとって」「重箱の隅をつつく」、みたいな。
自分と違う意見に対して攻撃的になっていないかな。
他者への攻撃性が増していないかな。
かえって他者への寛容さが失われて「優しくない社会」というか・・・
現代という殺伐とした砂漠がますます広がっていく。そんな空気を感じるのは私だけではないと思う。
なんでもハラスメントや多様性でくくって、他者への想像力や柔軟な思考、思いやりが欠けて、それこそ多様性が失われて本末転倒になっているかのような風潮。
以前、「男の子だから車とか電車が好きだよね」って何気なくつぶやいたとき、
「男の子とか女の子とかでくくるのはよくないよ」と軽く注意されたことがある。
その人は私がジェンダーハラスメントをしたと思ったのだろう。
私はちょっと納得がいかなかった。
そんなこと言われたら、返す言葉がない。
こんな風にハラスメントとして切り捨てて、会話がとぎれることもひとつのハラスメントではないかと思ったくらい。
会話として面白くない。趣きがない。コミュニケーションってもっと気楽で、柔軟であたたかいものじゃないかな。ボールを投げあうものではないかな?とれないボールをスパイクで打つのは、ある意味相手に失礼だよ。
こういう個人の何気ないつぶやきをハラスメントとして切り捨てるのは、どうかと思う。
いろんな男の子がいることは私も重々承知しております。
ちょと行き過ぎてるなって正直思った。
そうだよ。何事も行き過ぎるのはよくない。
「個性だ。多様だ。それもまた枠だった」
SUPER BEAVERの「切望」っていう曲の歌詞。
今の時代、「個性」「多様性」という言葉が先走っている感があるけど、
「本当にちゃんと尊重されているの?」っていう問いかけだと思う。
ただ形だけ。中身を伴っていない。
もっと言えば他者への攻撃の材料にすらなっている。
枠からはみ出る人を許さない、みたいな。
表面的なんだよね。そこに欠けているのは人間のぬくもり。
ネットやSNSを覗くと他者への攻撃性がかえって増していると感じる人も多いと思う。
もう、本当にすごいよね。「揚げ足取り」が。もはや恥知らずと言ってもいいような。
極端に走って他者を切り捨てるというのは、人類の歴史においてままあることだけど、
国家でなく個人がかたまりになって、個人をこんなにも攻撃するように、あるいはできるようになったのはネットやSNSによってもたらされた初めての現象かもしれない。
SNSが社会をより不安定で不透明にしていると感じているのは、私だけではないと思う。
クリーンで誰もがハッピーという理想を掲げているはずなのにね。
現実とのギャップがすごい。どんどん生きづらい社会へなっていく。
子供の幸福度が低いことも気になる。
人としての柔軟な思考、思いやり、想像力が失われていくような時代。
「ひとりひとり」なんだよ。
大切なのは「ひとりひとり」
ひとつの言葉や価値観で「ひとり」を、ジャッジしたりカテゴライズしてはいけない。
目の前にいる「あなた」を尊重すること。
ひとりひとりを大切にしないと、どんな理想も空回りしてしまう。
ひとりに焦点を当てて、ひとりを大切にするしかないんだと思う。
そして「ひとりの人間として大切にされた」という経験が、実感が幸せを生み出していく。
そう思います。
みんながハッピーでクリーンという理想を守るのに躍起になるより、
ひとりひとりをみつめる想像力、柔軟性を大切にしたい。
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