週末✨音楽とお酒。週に一度の贅沢。「やったー!」という気持ち。
初めて飲んだキウイのチューハイがめっちゃ美味しくて大満足✨
音楽はSUPER BEAVERの「歓声前夜」
popでライトで歌詞がまっすぐで聴きやすくて今日の私にぴったりでした。
先日、SUPER BEAVERの渋谷さんが「好き」についてエッセイで語っていた。
みんなより深く音楽が理解できることに優越感を感じていた・・と。
でも「好き」にはそんな不純な感情や他者との比較など必要ではない、と。
私も同じような体験をしたことを思った。
中学高校と、洋楽ばかり聴いていた。まわりにそんな子は他にいなくて、
優越感みたいなものを確かに感じていた。
「音楽がわかる」ということが自分を支える重要なアイデンティティになっていたような気もする。すっかり大人になった今は自分が何を好きとか、もうどうでもいいことだけど。
中2のころのこと。私が初めに、はまった音楽はビートルズ。60年代の超ビッグバンド。
友達のお父さんが何枚かアルバムを持ってて、それを貸してもらったことがきっかけ。
当時流行ってたJpopとはぜんぜん違っていてびっくりしたのを覚えている。
次にはまったのがSTING。これは確か中3のころ。近所にレンタルショップができて、
お金がなかった私でも気になる音楽をチェックできるようになったことがきっかけ。
映画雑誌にちょこっとSTINGの顔写真とインタビューが載ってて何となく聴いてみた。
初めに聴いたのが「soul cage」というアルバム。
14歳か15歳の私の胸の真ん中が貫かれた、強烈な体験だった。
すごく内省的で人生を深くみつめるような作品。
音楽でこんなことができるのか・・とびっくりした。
今はもうその作品を聴くことはない。
大事に自分のなかにしまっておきたいから。
その当時の記憶と感覚のまま凍らせておきたい。そんな想いがある。
今聴いたらきっといろいろ音楽的に分析してしまう。それが怖い。
「好きってなんだろね」という渋谷さんの問いかけ。
確かに「好き」ってちょっと謎めいている。
「soul cage」は今でも大好き。でも全く聴いていない。
この作品はまさに私の血肉となっている。
私の精神がひとつの大樹であるなら、この作品は私の根っこの部分を構成している。
今も。何十年立った今も。
だから今でも「好き」という感情はあるし、私にとって大切な作品。
だけど全く聴いてないんだよね。「好き」なのに。
身近にあっていつも聴く音楽が一番「好き」?
それとも影響を受けた音楽が一番「好き」?
今、自分のなかで一番流行ってる音楽が一番「好き」?
ふだん聴かないけど、一番魂を揺さぶられた音楽が一番「好き」?
わからないな。混乱してきた笑。
「好き」って考えたら曖昧な言葉だよね。。
いろんな「好き」がきっと存在するよね。
でも言葉でもって細分化するのはきっと無理な気がする。
この心だって曖昧で瞬間瞬間、移り変わっていく。
「好き」という感情の揺らぎを正確に表すなんてきっと無理。
STINGは中学高校と私のアイドル的存在で、ヒーローでいてくれた。
すごく支えられた。いろんな面で。
その後、BECKに出会って多大な影響を受けて、彼は今でも私のヒーロー。
今でもよく聴いている。
でも根っこにはSTINGがいる。
だから「どっちのほうが好き?」なんて答えられない気がする。
でも「好き」に優越感なんていらないのは確かだよね。自分の感性だけでいい。
その他すべてそぎ落として、それでも自分の胸で響くものが本物だと思う。
音楽に限らず、ね。
「好き」をみつめることはきっと自分をみつめること。
だからそこに余計なものを差しはさんでしまうと、自分のこともきっとわからなくなる。
前にもかいたけど、自分のことがわかるって至難の業(わざ)だと思う。
自分がわかれば、人生楽しい。
でもそれがすごく難しいんだよね。
私、本当に自分の好きな服がわかるようになったのって30歳すぎてからなんだよね。
それまではどこか「着せられていた」。
好きな服を選んでいるつもりでいたけど、流行りとか友達の目とか周りのファッションとか、そういうのに流されていた気がする。
それはつまり、「自分が誰なのか」わからなかったから。
「自分が誰なのかわかる人間にしか、本当に似合う服を着こなせない」ってどこかで読んだ。
真実だと思う。
「自分は誰なのか」・・大きなテーマだよね。
それがわかる人間にしか、本当のことはわからない、とも思う。
本当の意味で感性が働かないのかもって。
渋谷さんもそういうことを書いていたけど、もしかしたら「好き」っていう
気持ちを誰かに「着せられて」いるかもしれないよ。
流行りとか時流とかあらゆる「みんな」のメッセージに乗っかっているのかもしれないよ。
本当に好き・・?
そう言い切れますか?
20代のころの私のファッションみたいにどこか、ぎこちない「好き」を誰かに
「着せられて」いる。
心当たりありますか・・?
でもその答えは本当の「好き」に出会うまできっとわからない。
「本当の自分」に出会うまで・・
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