アイデンティティクライシス
私が初めてこの言葉に出会ったのは高校のとき。
当時好きだったウィナ・ライダーというアメリカの女優のインタビューにあった言葉。
意味を調べるとアイデンティティクライシスとは、
アイデンティティ(自己同一性)を喪失した状態のこと。 人が自己の役割、存在意義、目標などを見いだせず、混乱を生じたり、心理的な危機に陥ったりすること。
そのインタビュー記事を読んだとき、「私のことだ」と思った。
当時の私は10代らしく「自分はだれなのか」わからず、いつも混乱していた。
慢性的なアイデンティティクライシスに陥っていたといってもいい。
だからこの言葉に出会ったとき嬉しかったのを覚えている。
「私だけじゃなかった」とまず安堵した。
こんな言葉が存在するということはきっと、たくさんの人が経験してることだって安心した。
当時、いかにも10代らしく「こんな風に思ってるのは世界で私だけかもしれない」と心配してた。
言葉って大事だよね。自分のなかの「わけのわからないもの」に言葉を与えられるだけで、人は安心するものだと思う。言葉が存在するということは、それは他者も知っているもの。自分だけのものではないものってことに気づけるから。
それは真っ暗な闇に光を当てるようなもので、言葉が与えられるだけでその暗闇の輪郭がおぼろげながら見えてくるような気になって人は安心する。
言葉とは理性。言葉が与えられると、その暗闇を理性でもって思考でもって論理的に解決できる道が示されたような気になる。
だから当時の私は、「アイデンティティクライシス」という言葉にかなり救われた。
もちろんすぐ問題が解決したわけじゃないけど、
少なくても自分は異常ではないと認識できたのは大きかった。
「普通のことなんだ。よかった。」と胸をなでおろしたのを覚えている。
「風の谷のナウシカ」の漫画に出てきた「虚無」って言葉にも救われた。
心が満たされず、空虚で生きることがむなしくてどうにかなりそうだった思春期。
自分のなかの暗闇に虚無という言葉が与えられて、「なんだ。ちゃんとこれを形容する言葉があるんだ」とすごく救われた。「何も無くていいんだ。そういう状態は他の人も経験してるんだ。」自分の闇に光が与えられた気がした。
言葉があるかないかで、ずいぶん違うと思う。
だから大人が子供に「本を読みなさい」と言うのは正しいと思う。
語彙の少ない子供は、自分の心のなかで何が起きているか理解できない。
理解できないと混乱して、この世界が住みにくい場所になってしまう。
私はそこまで読書家ではなかったけど、本を読むことでずいぶん救われたと思う。
世界を知れた。自分を知れた。言葉が心の闇を晴らしてくれた。
落ち込むことが多かった思春期。
自分は人と違うんじゃないか。みんなこんなことで悩んでないんじゃないかって気になったりした。
本は「悩んでいいんだよ」って言ってくれた唯一のものだったかもしれない。
あと音楽もいろんな感情に名前をくれたよね。
私は生まれつき楽天的な性格だから、それにもずいぶん救われた。
どうにかこうにか、自分なりにうまく思春期を乗り越えられたと思う。
「悩むのが普通なんだよ」って本とか音楽とか映画とかのアートに教えてもらった。
そして悩んだぶん、深い人生になるってことも。
大人になれてよかったって思う。大人になって光と闇が理解できるようになったと思う。
本物と偽物が区別できるようになったと思う。
この両者が混在する複雑な世界で。
言葉でもって冷静に考えること。大切だよね。
10代のころ、世界がきらいだった。わけがわからなくて、きらいだった。
今は私をちゃんと大人にしてくれたこの世界に恩返ししたいっていう風に思える。
いろんなものに助けられてここまできた。
そのことに感謝できるようになった。
この前、散歩してて8分咲きの白い梅に出会った。すごく綺麗だった。
そして何日かぶりにその梅を見ると、もう散っていた。
私は満開に出会えなかった。
悲しかったし、何かを物語っているような気になった。
すべてが目まぐるしく変わっていく。
だから、もし出会えたら感謝を忘れずにいたいな。
出会えた感謝を忘れずにいたい。
たくさんの人が、あらゆる形のアートでもって私に語りかけてくれた。
そのおかげで、私はたくさんの言葉に出会えた。
そしてそれは、私のなかの暗闇を照らしてくれた。
その「恩」を忘れずにいたい。
そう思う。
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