あけましておめでとうございます🎍
今年もよろしくお願いします✨
でも新年早々、めでたくない世界情勢だよね。
「国って何なんだろう」って思う。
自国民さえよければいいの?他の国の人たちの幸せを奪って、自国の利益になればそれでいいの??もはや暴力的に自国が「ファースト」だと言い始めた人々。
それで、いいわけない。
イギリスに留学していたころ、本で学んだことがある。
その本には「国家主義と愛国主義はちがう」と明確に書かれていた。
当時の私はそのふたつを混同していた。
自分の国は大切。当たり前。でもその気持ちがだめなのかなって時々、思っていた。
国家主義がふたつの世界大戦を引き起こした。
「自分の国を愛している」気持ちが戦争を起こすの?ってサッカーとかで日本を応援するときにちょっとだけ後ろめたいような気持ちになった。「日本を応援する」高揚感。その先に戦争があるのかな・・って。
でもそれは間違いだった。
その本にはこう書かれていた。
「自国を尊重し、愛する気持ちには何の罪もない。愛国主義には何の問題もない。
しかしそこに暴力が伴えば、それは国家主義となる」
私は深く納得した。
自分の国を愛することは良いことなんだ、と。ただし、「暴力」が伴うならそれは戦争へつながる国家主義へと変貌するのだと。
私は高校生のとき、オーストラリアにホームステイしたことがある。
そのとき初めて、「自分が日本人であること」を意識した。
そこで初めて「人種」というものを意識した。
現地の高校で、いっしょに留学した日本人の仲間がただ校内を歩いていると、
白人のオーストラリア人の男の子たちから「向こうへ行け!」と叫ばれた。
そのときは何のことかよく理解できなかったんだけど、今でいう「アジア人差別」だったのだと思う。
そしてもうひとつ人種について思う出来事があった。
現地の高校で正規の学生として学んでいた日本人と話す機会があった。
彼女はなぜか日本を嫌っていた。「オーストラリアのほうがいろんな面で優れている」と語り、いくつか日本の悪口を聞かされた。
日本人を見下すオーストラリア人。
日本を見下す日本人。
「人種って、国って何なんだろう」と私の頭はぐるぐるした。生まれて初めて人種や国について考えた。英語がうまく話せない自分のことも情けなく感じていた。ちょっとコンプレックスを感じるレベルで。
英語が話せなくて、いろんな人から見下されて・・
「日本人であることは恥ずかしいことなのか??」って思った。
ってその前に「日本人」って何なんだ?人種って、国の違いって何なんだ?
私とは何なんだ?
そんなことが、高校生の私の頭のなかをぐるぐる回った。
そして終にはそんなことを考えているのが馬鹿馬鹿しくなった。
「愚かしい」と感じた。
「私は私」
そんな確固たる自尊心が頭をもたげた。
「私は何人でもいい」
心からそう思った。
「何なら宇宙人でもいい」
そう思ったとき、私のなかで何かが吹っ切れた。
「私はただ私としてこの宇宙に存在している」
そう心から感じて、何かをつかんだ。
「人種とか国籍とかで自分を測りたくない」
そう心から思った。
自分のindependanceを獲得した瞬間だったのだと思う。
自分のアイデンティティを人種とか、国家に委ねる気なんてさらさらない。
私は私。
「私はひとりの人間として尊厳をもっているし、自由であるべきだ」
そう感じて私の心は落ち着いた。
「自分はまず、ひとりの人間だ」そう考える人が増えれば、きっと戦争はなくなる。
自分も他者も「同じ人間だ」という視座に立てば、きっと戦争は起こらない。
国家や民族にアイデンティティを委ねる人が増えれば世界の対立は先鋭化し、分断は深まる。
かつて日本や世界を覆った「集団主義」が復活してしまう。暴力を伴う「国家主義」の時代へ再び突入してしまう。
「自国の利益のためには、他国の犠牲も辞さない」ーその行きつく先は戦争しかない。
「自分が幸福になるためなら、他人は不幸になってもかまわない」
そんな考えで生きる人が増えれば、世界は崩壊する。
人類は破滅してしまう。
ポピュリズムと排他主義が渦巻く時代。
選択肢は私たちのテーブルの上にある。
あなたのテーブルの上にある。
どんな世界を望むのかー平和な時代を生きたいのか、メガデスの時代に逆行するのか。
決めるのは私たち。
私たちの選択がこの世界を形づくる。
「みんなが幸せ」を選ぶ人が増えますように。
そう願うしかない。
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