週末。いいね、この解放感✨明日ちょっと仕事あるんだけどね・・
去年、50ものブログを書いたこと気づいた。
これは完全にSUPER BEAVERの渋谷さんの影響。
渋谷さんのエッセイを読んで、「自分を語る」っていいなって単純に思ったんだよね。
それで気づいたらそんなに書いてた。
まあ書くのは好きだし、頭の整理にもなるしね。
現実と名付けてみた妄想
そのなかで借り物競争
走り疲れたアンタと
改めて話がしたい
心から話してみたい
BUMP OF CHICKENの「レム」っていう曲の歌詞。
「借り物競争」
この洗練されたアイデアに出会ったのは、この曲が初めてだったかもしれない。
ミュージカル「RENT」でもそういう歌詞に出会った。
「すべては借り物」
大阪で観たんだけど、早口で歌っててよく歌詞が聞き取れなかったから、
その真意ははっきりわからなかったけど、「借り物」という言葉で「レム」の歌詞と
私のなかで結びついた。
なんていうか・・私たちはすでに出来上がった世界にいる。
もう新しいフロンティアなんて無いと言ってもいい、というか。
生まれたときから、もうすべてが出来上がってしまった世界にいる。
誰かのつくった道の上を歩いているのが当たり前。
そういう世界だと思う。
私たちの世代に圧倒的に足りないもの。
それは「獲得する」という経験。
先人たちのつくったレールの上をただ、なぞるように生きる。
だから自分の頭で考えるっていう経験が少ない、というか
無くても普通に生きていくことが可能な世界。
「獲得」しなくても生きていくことが可能な世界に私たちはいる。
ある意味、すべてが「借り物」と言えてしまえる世界。
何を獲得するか、より「何を借りてくるか」でみんな競争している。
そんな冷めた目でBUMPの藤くんはこの曲をかいたのだと思う。
だからきっと「生きてる実感」が薄いんだと思う。現代人って。
あんまり頑張らなくても、生きることが成り立ってしまうから。
常に「生きるか死ぬか」の現実にさらされていた近代前の先人たちが
もっていたような感覚が薄いんだと思う。きっと。
ただ出来上がったものに乗っかっている。そんな時代。
「鍛錬」なき時代。
昔の人は生きることに「鍛錬」が必要だった。
ただ生きるだけで大変だった。
洪水、干ばつ、天災、作物の不良。
猟で獲物がとれなければ、即「死」に直結する。そんな時代。
自給自足の生活。生きるための術を学びに学んで、次の世代に
その術を受け継いで、つながれてきた命。
その末裔が私たち。
でも「死と隣り合わせ」だった時代のような、生きることへの研ぎ澄まされた実感の
ようなものが欠いている。そんな時代。
「借り物」で生きるなんて楽しくない。
自分で手にする実感がほしい。
みんな心の奥底ではそう思っている気がする。
だからこの時代に自分の道を切り開いていく人を私は尊敬する。
自分の頭で考えて、実行する人。
みんなが歩いているレールから降りて、自分の道をつくる人。
BECKからはそういう意味ですごく影響を受けた。
彼は誰にも真似できないような、独自のユニークな道を示してくれた。
音楽的にも。彼のパーソナリティとしても。
誰とも似ていない、自分の道をちゃんと知っている人。
だから大好き。
SUPER BEAVERの渋谷さんにもそういうインスピレーションを受けている。
渋谷さんのライブって独特というか、今までにない音楽への姿勢がそこにあるというか。
「ライブって何なのか」追及するその姿勢にインスパイアされる。
この前のアコースティックライブでお客さんに向かって
「俺たちはお互いにありがとうを言い合う関係じゃないよな。仲間だよな」
って呼びかけていて感銘を受けた。
私は好きなミュージシャンには「仲間」だという意識をもっていたけど、
こうはっきり言葉にしてくれる人はいなかった。
私にとっては新しかった。
こういう風に誰かのしいたレールの上を歩くことを良しとせず、
自分で自分の行くべき道を模索している人って素敵だなと思う。
すべてが出来上がったこの現代においては、本当にレアなんだと思う。
そして自分の足で立って、自分で道を切り開いてこそ、
「生きている」と言える。
そう思います。
「死んだように」生きている現代人・・多くないかな。
ただ口を開いてえさを待っている。。みたいな。
「獲得する」ことを知らず、「生への実感」が薄い、ような。
そこにこの時代の根本的な病みたいなものを感じるのは、私だけではないと思う。
どんどん、どんどん、本当のことが失われていくような時代。
ますます「本当のこと」を語ってくれるアートの使命は重い。
私に「生への実感」をくれたのはたくさんのアートだった。
SNSを覗くより、真実を歌ってくれるミュージシャンの声に耳を傾けたい。
そう思います。
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