私は本屋が好きだった。
小中高、大学と本屋をうろうろ歩くのが好きだった。
なんだか「知識の宝庫」みたいでわくわくした。
そこで1,2冊気になった本とか漫画を買うのが楽しみだった。
そのなかのひとつが「リトル・トリー」というアメリカの作家が書いた本。
いわゆるジャケ買いをした。表紙のインディアンの男の子のイラストが気に入って買った。
中学生のときに読んだんだけど、今でもけっこう鮮明にストーリーを覚えているのは、
この本が素晴らしかったという証だと思う。
「愛することは理解すること」
この本で出会った一節。
「確かにそうだなー」って感心したのを覚えている。
きっと世の中で広く知られている価値観で、子供の私が知らなかっただけだと思った。
でも違った。
この言葉はあまり世間では知られていないし、この言葉がもつ価値観もあまり共有されてもいないと、大人になった今、思う。
「理解のない愛」・・・多くないかな。
それはごくごく親しい間柄でよく起こることだと思う。
親子、恋人、夫婦、家族・・
「勉強しなさい。あなたを愛しているから言ってるのよ」
「こうしてよ。できるでしょ。あなたを愛しているから言うのよ」
できる、できないを見定める前に、相手に自分の欲しいものを要求する。
「愛しているから」という言い訳で、いろんなことを押し付けてはないだろうか。
こういう一方通行な愛が世の中にあふれている気がする。
相手の気持ちや置かれている状況を無視して想像力のない愛をぶつける。
「愛しているから、こうあってほしい」「愛しているから、言うのよ」
身勝手な要求。突きつけられた相手はたまったものではない。
「ああ、この人は私を理解していない、理解しようとしていない」っていう絶望。
学校の先生とかにも感じたことあるな。たぶん。
そういうものにあふれた世界な気がする。
理解のない愛なんて嘘だと思う。
理解のない愛は暴力になり得る。
「愛することは理解すること」
理解と愛はセットなんだよ。
そうじゃないと傷つくんだよ。みんな。
それって自分に対しての愛にも当てはまるよね。
自分を理解してあげてれば、きっと自分を愛することができる。
「自分が嫌い」っていう人は、もしかしたら自分をちゃんと理解してあげられてないのかもしれない。
「自分を理解する努力」ー大事だよね。
でもその方法を学校も大人も教えてくれない。肝心ことを教えてくれない。
「こうしなさい、ああしなさい」って言うだけ。
そしてその命令に納得できる根拠がない。それが子供たちを苦しめてる気がする。
人とのつながり。思慮深い言葉。「そのまま」を愛してもらうという経験。
人間に触れること。努力して失敗すること。そこに意味を見出す知恵と希望。
そういったものを通して、私は私を知ってきたのだと思う。
自分を理解してきたのだと思う。
でもそういったものが、どんどん希薄になってる気がする。
SNSの薄っぺらい言葉に囲まれて、バーチャルな世界が人とのつながりにとって代わって、スマホばかり触って勉強時間ゼロの子供が増えて、努力に意味を見出せなくなって、「そのまま」の自分を見失っていくー
大げさに言うとそういう世界へ子供たちは放り出されている。
子供が生きにくい世界が、大人の生きやすい世界のはずがない。
ますます、「生きづらさ」みたいなものを抱える人が増えていく。そんな世界。
もう、ブレーキを踏む人もいなくなってきた。
とにかく、「自分を理解してあげること」大事だよ。
ヒントはまだ至るところに転がっている。要はそれに気付けるかどうか。
自分を理解するには、たくさんの他者に触れるしかないと思う。
自分と違うたくさんの「賢明な他者」に触れる努力をするしかないと思う。
そうして「自分のかたち」に触れる。
より大きな世界へー広い世界へ自分を引っ張っていけば、きっと自分のかたちが見えてくる。
前にも書いたけど、私は複雑な人間だった。だから自分を理解するのに苦労した。
でも努力した。自分を理解する努力を怠らなかった。
たくさんの他者に触れて救われた。たくさんのアートに助けられて、シンプルな自分になれた。
今は自分との関係を心地よく感じている。
「愛することは理解すること」
もっともっとこの言葉が光を放ちますように✨
「賢明な他者」がそこかしこに転がっている
ーそんな世界で子供たちが息をできますように✨
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